社史

メディアランナーネットワークの試み

メディアランナーメディアランナー

 1997(平成9)年、松下通信工業株式会社(現 パナソニック モバイルコミュニケーションズ株式会社)は、170インチのフルカラーLEDディスプレイを製品化し、同ユニットを4t車両に搭載した「メディアランナー」が登場した。
 ヒビノは、メディアランナーを利用した新たなビジネスを計画した。「ヒビノネット」で構築したネットワークを活用して、広告代理業を展開することにしたのだ。全国の同業他社にメディアランナーを所有してもらい、全国各地の「祭り」「地域イベント」の主催者にメディアランナーを無償提供することで、ヒビノはナショナルスポンサーを獲得し、そのCM放送料をネットワーク各社に配分する。またネットワーク各社はローカルスポンサーを獲得し、CM放送料でメディアランナーの固定費をまかなうというビジネスモデルを企図した。

「北海へそ祭り」会場のメディアランナー(1998年)「北海へそ祭り」会場のメディアランナー(1998年)

 一方、災害時における支援活用も計画された。そのきっかけは1995年1月に発生した阪神・淡路大震災だった。震災発生時、ライフラインである情報通信ネットワークに大きな被害が出て、救援・復旧活動などに支障が生じるという事例が多くみられた。そのため、全国各地にメディアランナーを配備することで有事の際に役立てることができるのではないか、と発想したのである。
 メディアランナーの車両設計については、ヒビノの意見が多く取り入れられた。有事における運用のしやすさを考慮して、普通免許で運転可能(当時)な4t車とし、機動力をさらにアップするため、アルミボディによる軽量化が図られている。また中継機能や電源、画面のリフトアップ機構も標準装備された。一方ディスプレイは用途を考慮して簡易型のLED画面となった。
 1997年10月、映像事業部はメディアランナーを計10台導入し、全国9ヵ所に「メディアランナーネットワーク」を構築。その後、随時拡大して47都道府県に配備する計画だった。

長野冬季オリンピック(1998年)。セントラルスクエア前のメディアランナー長野冬季オリンピック(1998年)。セントラルスクエア前のメディアランナー

 1998年長野冬季オリンピックでの宣伝キャンペーンを皮切りに、各地のニーズを掘り起こしながら全国展開していったが、映像メディアを使った広告代理業という新しいビジネスモデルは軌道に乗ることなく、メディアランナーは「簡易型アストロビジョン」として転用されることになった。
 その後、同車は2011年3月に発生した東日本大震災の被災地に投入され、情報提供や避難所へのライフラインのサポートを行うなど、支援活動に生かされている。

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※ここに掲載した情報は、2015年2月発行の「ゴールなき頂を求めて 挑戦こそが我らの誇り ヒビノ株式会社50年史」より転載したものです。この記事の無断引用、無断転載を固く禁じます。

第4章 転換期 1994〜2003

第4の柱を求めて

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