社史

独自の発展を遂げた大阪営業所

大阪営業所が受注した「第3回東アジア競技大会開会式」(2001年)大阪営業所が受注した「第3回東アジア競技大会開会式」(2001年)

 ヒビノの大阪営業所は、地域に根ざした営業活動を続け、開所以来売上を伸ばした。PA事業部の出張所からスタートし、1987(昭和62)年の営業所昇格時にAVC販売事業部、映像部が新設されて、3事業部体制によって独自の顧客を開拓し、発展を遂げてきた。
 大阪営業所が推進したのは、いわば「音と映像の一体化」だった。当時から事業部ごとに損益管理、業績測定を行っていたこともあり、各事業部の独立性が高く、ともすると組織の壁が連携を生み出しにくいという側面があった。大阪では人員規模の小ささを逆手にとる形で「音と映像は常に同時受注」という方針を基本とした。
 3事業部は日頃から横の情報共有を密にし、業務上も互助の関係を持つことによって「音と映像の一体化」という風土が自然発生的に育まれたともいえる。

大阪営業所が受注した「第57回国民体育大会(よさこい高知国体)」(2002年)大阪営業所が受注した「第57回国民体育大会(よさこい高知国体)」(2002年)

大阪営業所が受注した「第22回全国豊かな海づくり大会」(2002年)大阪営業所が受注した「第22回全国豊かな海づくり大会」(2002年)

大阪営業所が受注した「第60回国民体育大会(晴れの国おかやま国体)」(2005年)大阪営業所が受注した「第60回国民体育大会(晴れの国おかやま国体)」(2005年)

 ヒビノのPA事業部はロックやポップスのコンサート音響に特化してきたが、コンサートの絶対数が東京より少ない大阪では「イベント音響」という独自のマーケットを開拓する。1994年9月の関西国際空港の開港式典を皮切りに、2002年の第57回国民体育大会(よさこい高知国体)の受注を一つの転機として、国体や全国植樹祭・育樹祭など、数多くの公共(皇室関連)行事を定期受注するようになった。
 大阪の映像事業部にとってエポックメイキングとなったのは、2001年5月の「第3回東アジア競技大会」の開会式である。会場は大阪ドーム(現 京セラドーム大阪)。40インチのプラズマディスプレイ(PDP)を270台使用して、9面マルチ×30セットをピラミッド状の聖火台に仕立て上げるという、スケールの大きい案件だった。

大阪営業所が受注した「第3回東アジア競技大会開会式」(2001年)大阪営業所が受注した「第3回東アジア競技大会開会式」(2001年)

 自発光式で大画面、高輝度・高画質、省スペースのプラズマディスプレイは、その薄型・軽量構造により、壁掛け、天吊りなど多彩な設置が可能で、空間演出の自由度を高める最先端の映像デバイスとして脚光を浴びていた。特に、この開会式で使用されたパイオニア株式会社製「PDP-V7」は、1998年の発売以来、当時1台140万円という高価格にもかかわらず、展示会をはじめ多方面で利用され、レンタル業界に広く浸透した。
 このとき、全国で出回っているレンタル品は約400台。そのうち300台を全国の業者から約1週間でかき集めて、クレーンでピラミッドのように積み上げていく作業を、ほぼ2日間の徹夜で成し遂げたという。国際的なスポーツイベント案件を手掛けたことで、ヒビノの信用とブランドはより高まることとなった。
 AVC販売事業部大阪営業所の開設当初は、日本通信小野特機株式会社(現 ジャトー株式会社)をはじめとした設備会社経由の仕事が多く、エンドユーザーとの直取引きはなかなか広がらなかったが、在阪放送局の開拓に注力することで、NHK大阪放送局、民放テレビ局・ラジオ局、さらに番組制作会社など、顧客基盤を拡充していった。

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※ここに掲載した情報は、2015年2月発行の「ゴールなき頂を求めて 挑戦こそが我らの誇り ヒビノ株式会社50年史」より転載したものです。この記事の無断引用、無断転載を固く禁じます。

第4章 転換期 1994〜2003

第4の柱を求めて

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