社史

来たるべきAVCC時代に向けて──経営方針の転換

 ヒビノ電気音響は、テレビの販売・修理業務に始まり、喫茶店音響、ジュークボックスの販売・レンタルを経て、日本では未開拓だったコンサート音響分野を事業化するなど、時代の一歩先を行くスピード感をもって、成長を遂げてきた。コンサート音響事業においてはレンタルからオペレート、そしてエンジニアリングと新たな領域を開拓し、業界トップの地位を確立した。1983(昭和58)年10月、PA事業部は東京都港区港南(現在の本社所在地)に移転し、翌11月には本社所在地を台東区浅草橋4丁目から港区白金に移転した。
 社長の日比野は、1971年4月のPA事業部立ち上げ以来、現場の要求には最大限応えるというポリシーのもと、最新機材の購入やオリジナル機材の開発に惜しみない投資を行ってきた。
 現場はその期待に沿うべく、PAの技術と経験を蓄積し、国内外の一流アーティストと信頼関係を築いて、「PAのヒビノ」というブランドを作り上げてきた。
 日比野は自らが開拓し育ててきた「PAのヒビノ」に対する愛着とプライドを抱きつつも、経営者としてそのポジションにとどまらなかった。会社の将来を見据えたとき、社名に冠した「音響」の分野だけでは、いずれ限界が来るだろうと予測していた。
 1970年代後半からは家庭用VTR機器が登場し、83年末にはその普及率が10%を超え、ホームビデオという新たな映像メディアが市場を賑わしていた。
 一方で、1979年に「ウォークマン」(ソニー)が発売され大ヒット。音楽を聴くという行為は、インドアからアウトドアに広がり、自分の好きな場所で気軽に音楽を楽しむという新しいライフスタイルが定着していく。
 さらに、1981年には画像、音声ともに優れた再生機能を持つレーザーディスクプレイヤー「LD-1000」(パイオニア)、82年にはデジタルオーディオ普及の先駆けともなる家庭用CDプレイヤー「CDP-101」(ソニー)が発売される。また同時期にはのちにテレビ放送を大きく変えることになる高精細テレビ「ハイビジョン」の開発をNHK放送技術研究所が進めていた。
 こうした映像と音楽をめぐる劇的な環境の変化に際して、日比野は一つの決断をする。
「これからは映像の時代になる。その先も見据えたうえで、経営方針を大きく転換しよう」
 日比野は、次代の経営コンセプトを「AVCC(オーディオ・ビジュアル・コンピューター&コミュニケーション)」と設定した。これまでの音響分野に加えて、新たに映像分野に進出し、さらにその先のコンピューターと情報通信(IT)の時代をも見据えて、事業領域を拡大していく覚悟を示した。
 その第一歩が、映像分野への進出だった。1984年4月、従来の販売事業部を「AVC販売事業部」と改称し、業務用映像機器を取扱い品目に加えて新たな販路を開拓する取り組みが始まった。

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※ここに掲載した情報は、2015年2月発行の「ゴールなき頂を求めて 挑戦こそが我らの誇り ヒビノ株式会社50年史」より転載したものです。この記事の無断引用、無断転載を固く禁じます。

第3章 拡大期 1984〜1993

音と映像のプレゼンテーター誕生

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