社史

マルチプロジェクションシステムの登場と「ヒビノキューブ」運用開始

 大型映像で最初に手掛けたマルチビジョンは、CRT(ブラウン管)モニターが使用されていたが、その後普及したのは、1988(昭和63)年にパイオニア株式会社が開発した「プロジェクションキューブ」(RM-V111)であった。キューブは、3管式リアプロジェクターを箱型の筐体に搭載することでレイアウトフリーを実現し、さらにマルチに組んだ場合の継ぎ目が小さいというメリットがあった。また表示サイズも28インチを基本とするCRTモニターと比べ40インチと大きく、まさに室内の映像表示に適した設計となっていた。
 AVCシステム事業部はキューブの導入と運用を進めたが、よりきれいな画質を実現できないかという声が上がり、オリジナル機材開発の気運が部内に高まっていった。画質面では、日立製のリアプロジェクションモニター「ネオビジョン」の評価が高かったため、同ユニットをベースとして検討が始まった。
 そして1989年8月、AVCシステム事業部は、ネオビジョンのユニットをスチール製の堅牢な筐体に搭載したオリジナルのマルチプロジェクションシステム「ヒビノキューブ」の開発に成功。ヒビノキューブは画質の向上はもちろんのこと、パイオニア製キューブの40インチから44インチにサイズアップしたことで、同業他社との差別化につながった。初の運用は、同月に開催された「別府国際ジャズフェスティバル・城島ジャズイン」野外会場における、36面マルチのサイドモニターだった。
 ただし、ヒビノキューブは画質調整が難しい(時間がかかる)という側面があったため、イベントよりむしろ常設表示に向いていた。そこで、AVCシステム事業部のシステム部門はボウリング場のレーンモニター用としてヒビノキューブを売り込むと、累計800台弱を売り上げるという実績を上げた。

寒川セントラルボウルに納入したヒビノキューブ(1991年)寒川セントラルボウルに納入したヒビノキューブ(1991年)

 晴海から幕張メッセに会場を移した第28回東京モーターショー1989は、本格的にプロジェクションキューブが使用された年となった。ヒビノは日産、スバルに加えて、トヨタ、ヤマハなど計6社のブースを担当し、ヒビノキューブをはじめとするプロジェクションキューブとCRTマルチビジョンを併用した映像演出を展開した。特にスバルブースでは、45度に傾けたハーフミラーを使用して、実物と映像を合成して見せる展示映像の手法「マジックビジョン」(株式会社電通プロックス〈現 株式会社電通テック〉の登録商標)が来場者の目を引いた。倉庫を借り切っての1ヵ月にわたる調整作業は、スタッフの充実感となって記憶に刻まれた。

第28回東京モーターショー1989 スバルブース。ヒビノキューブ及びマジックビジョン第28回東京モーターショー1989 スバルブース。ヒビノキューブ及びマジックビジョン

第28回東京モーターショー1989 スバルブース第28回東京モーターショー1989 スバルブース

第28回東京モーターショー1989 日産ブース第28回東京モーターショー1989 日産ブース

 マルチプロジェクションシステムの画質を大きく左右する映像拡大装置は、他社との差別化におけるポイントであった。AVCシステム事業部はトヨタブースで要求された「バラの花びらの質感を再現する」というミッションに応えるべく、1990年に三洋電機株式会社(現 パナソニック株式会社)と共同で高性能拡大器「MP-100」を開発した。MP-100は、1990年の「第70回ビジネスシヨウ」ゼロックスブースで初めて運用されると、その画質はクライアントから高い評価を得て、ヒビノはプロジェクションキューブの運用において、業界でも抜きん出た存在として認知されることとなった。
 1991年には、世界初のハイビジョン拡大器「HD-100」を開発。1994年10月の「Silicon Graphics EXPO 1994」(パシフィコ横浜)では、HD-100とMP-100を使用して、当時“前人未踏”といわれた規模の108面キューブに精細なハイビジョン画像を映し出した。またHD-100は、1995年11月のマイクロソフト社「Windows95 Start Festa」イベントなどで運用された。

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※ここに掲載した情報は、2015年2月発行の「ゴールなき頂を求めて 挑戦こそが我らの誇り ヒビノ株式会社50年史」より転載したものです。この記事の無断引用、無断転載を固く禁じます。

第3章 拡大期 1984〜1993

音と映像のプレゼンテーター誕生

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