社史

録音中継車「ODYSSEY」導入──ライブレコーディング業務を開始

録音中継車 ODYSSEY録音中継車 ODYSSEY

 ライブ音源やライブ映像の収録というニーズは、パッケージ制作やテレビ中継、衛星中継など、さまざまな用途に広がりつつあった。そうしたニーズに応えるべく、1991(平成3)年9月に録音エンジニアとして豊富なキャリアを持つ熊田好容と佐々木猛が入社。映像と音づくりをさらに一体化させようと、当初はポストプロダクション業務(ウェストレイクスタジオ)強化の一環として、ライブレコーディングに対応する体制をとった。
 1991年11月、高品位のライブレコーディングを実現するために不可欠な設備として、録音中継車「ODYSSEY(オデッセイ)」を導入、レンタルとオペレート業務を開始する。

ODYSSEYの内部。NEVE「VR48」と「4426」ODYSSEYの内部。NEVE「VR48」と「4426」

 装備に半年を費やしたODYSSEYの車内は、国内最大の広さと高さが確保され、さらにコントロールルームとマシンルームをセパレート化することで機能性と作業性を高め、音に集中できる最適環境になるような設計が施されていた。
 車載のレコーディングコンソールはメインに当時最高峰のNEVE「VR48」、サブに同「4426」を採用、録音機材にはソニーのマルチトラックレコーダー「PCM-3348」、同デジタルレコーダー「PCM-7050」、さらにハイビジョンモニターも搭載した。最新鋭かつハイエンドな機材を惜しげもなく投入したODYSSEYは、実にヒビノらしい贅沢な仕様となっていた。
 ODYSSEYのデビューは、1991年11月の矢沢永吉の日本武道館公演で、テレビ放送及びライブビデオ用の収録に使用された。その後ユニコーン、ポーラ・アブドゥルなどのライブレコーディングを次々と請け負い、幸先の良いスタートを切った。
 「ODYSSEY」の命名は熊田の発案による。古代ギリシャ時代に書かれた長編叙事詩に『オデュッセイア』があり、主人公オデュッセイアの長い旅が語られている。これを語源として、現代では「長い冒険の旅」を意味する言葉として使われており、熊田はODYSSEYに「呼ばれればどこへでも、宇宙(ほど遠い場所)にだって行きます」という気持ちを込めたのだという。
 さらにヒビノの車載型アストロビジョンの「アストロ」もギリシャ語で「宇宙」の意味があり、そうした共通性も命名決定の後押しとなった。

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※ここに掲載した情報は、2015年2月発行の「ゴールなき頂を求めて 挑戦こそが我らの誇り ヒビノ株式会社50年史」より転載したものです。この記事の無断引用、無断転載を固く禁じます。

第3章 拡大期 1984〜1993

音と映像のプレゼンテーター誕生

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