社史

「NEW BINCO」スピーカーシステム運用開始

 PA事業部の独自開発によるBINCOシステム以降も、ヒビノのPAスタッフは既製のスピーカーに改造を施したり、周辺機器を変えたりすることで、同業者からも「同じ機材でも、ヒビノの音は違う」といわれるような機材の運用・活用方法を蓄え続けた。
 その開発力、現場力が発揮されたものの一つとして挙げられるのが、「ワイヤレスミニマイク」である。ステージに“林立”するマイクスタンドをなくし、ステージ演出の幅を広げるというコンセプトから、特に開発が難しいとされたボーカル用のミニマイクの開発を提案し、松下通信工業と共同開発を行った。そして1986(昭和61)年1月、RAMSA「ミニチュアマイクロホンシリーズ」が発売された。現場の意見をヒントとして生まれたこの製品は、音響のみならずステージ演出にも大きな変化をもたらす革新的なものであった。

横浜アリーナ公演(1989年)で運用したTMS-3横浜アリーナ公演で運用したTMS-3(1989年)

 1987年5月、PA事業部はTurbosound社のスピーカーシステム「TMS-3」の導入に踏み切った。ヒビノオリジナルの音を追求していくというプライドは揺るがないものの、案件の増加とともに顧客が求める機材に応えていく必要性も出てきた。世界的にも評価が高かったTMS-3は、待望のスピーカーシステムの一つだった。
 また、PA事業部が数多く手掛けるアリーナクラスの大会場のコンサートでは、フライングのニーズがいっそう高まっていた。フライングシステムは、キャビネットを積み上げるグランドスタックと比較すると、会場の隅々まで音を行き渡らせることができるというメリットのみならず、吊りが可能な会場であれば設営時間を大きく短縮でき、地震発生時に倒れる心配がないなど安全面でも有利ということで、大会場ではもはや不可欠になってきていた。
 「とにかく吊れるスピーカーがほしい」というのが現場の切なる声だった。BINCOシステムはフライングを前提に設計したものではなく、当時は安全を確保しつつ連結して吊るという技術も確立していなかった。そこで、海外で実績を積んだシステムを導入することで、そのノウハウを積極的に吸収しようとした。
 PA事業部では、技術職として入社していた吉川博志や井上比呂志を中心に、TFA Turboの運用経験や最新のTMS-3の構造分析をもとに、フライングに適した新しいBINCOシステムを研究していった。
 安全で、かつ現場のセッティングが容易な機構として、キャビネットの左右後方の3点に、独自のインナーハンガー(アルミと鉄で作ったプレート)を埋め込んで、常にその3点をシャックルで固定して上下のスピーカーをつなぐという方式をとった。
 試作した吊り金具は破断荷重テストを繰り返し、フェールセーフの基準が十分確保できたところで、BINCOは「NEW BINCO(NB)」として、フライングに完全対応する新しいシステムに生まれ変わった。

NB用フライング機構の開発。安全強度の確認実験(1987年)NB用フライング機構の開発。安全強度の確認実験(1987年)

 NBシステムは、1988年3月からスタートした浜田省吾「ON THE ROAD ’88 〜FATHER’S SON〜」ツアーでデビュー。同年5月の代々木第一体育館公演では、ステージに門型のトラスを組み、NBをセンタークラスターで吊るという意欲的な試みを行った。すべての客席に均一な音を届けるために、あえてモノラルにして、スピーカーも中央に集約させてみようというものだった。その目論見は成功したが、その後はコンサート会場自体の構造が改良されていくことで柔軟なフライングが可能になり、センタークラスターという試みはこの1回のみとなった。しかし、こうした実験的なトライアルは、アーティストとの信頼関係を基盤としたヒビノサウンドの飽くなきチャレンジ精神を内外に示したといえよう。
 この頃から、PA事業部内に「システムエンジニア」という職能が確立していく。システムエンジニアは、大会場におけるスピーカーの配置計画(音響システムプランニング)やチューニングを行う役割である。
 大型案件の増加と運用ノウハウの蓄積によって専門化を遂げたシステムエンジニアだが、その専任者を擁する同業他社は少なく、現在もヒビノサウンド Div.の大きな強みの一つとなっている。

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※ここに掲載した情報は、2015年2月発行の「ゴールなき頂を求めて 挑戦こそが我らの誇り ヒビノ株式会社50年史」より転載したものです。この記事の無断引用、無断転載を固く禁じます。

第3章 拡大期 1984〜1993

音と映像のプレゼンテーター誕生

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