社史

伝説の「箱根アフロディーテ」でピンク・フロイドの音響を手掛ける

「箱根アフロディーテ」(1971年)「箱根アフロディーテ」(1971年)

 1971(昭和46)年8月に開催された大型野外フェスティバル「箱根アフロディーテ」は、日本の音楽史上における伝説のコンサートの一つとして語り継がれているが、ヒビノのコンサート音響事業の歴史においても、特筆すべきものであった。
 ニッポン放送主催による同フェスは、1971年8月6日、7日の2日間にわたって行われ、計4万人もの観客を集めた。国内外の人気アーティストが大挙出演する日本初の本格野外フェスといわれ、現在隆盛の「夏フェス」の先駆け的なイベントであった。このビッグイベントの音響機材レンタルをオールプロデュースから依頼され、日比野はShureのトーンゾイレ型スピーカーを40台用意して自らセッティングに向かった。

「箱根アフロディーテ」のステージ両サイドに設置したShureトーンゾイレ型スピーカー「箱根アフロディーテ」のステージ両サイドに設置したShureトーンゾイレ型スピーカー

 会場は神奈川県箱根町、芦ノ湖畔にあった乗風台(学校法人成蹊学園所有の広大な土地)の特設ステージ。フォーク界からかぐや姫、長谷川きよし、トワ・エ・モア、赤い鳥ほか、ジャズ界からは渡辺貞夫、菊地雅章、佐藤允彦ほか、ロック界から成毛滋、つのだ☆ひろ、モップス、ハプニングス・フォーなどが出演した。そして海外からは1910フルーツガム・カンパニー、バフィー・セントメリー、当日の大トリを務めたのは、初来日となったイギリスのプログレッシブロックの雄、ピンク・フロイドであった。
 前年の1970年に発表したアルバム『Atom Heart Mother/原子心母』が全英チャート1位を記録し、一躍人気バンドとなったピンク・フロイドの日本初のライブステージは、ロックファンの大きな期待を集めていた。
 ピンク・フロイドはイギリス「wem」のスピーカーシステムを本国から持ち込んでいたが、野外ライブで十分な音を出すには本数が足りず、日比野が用意したShureのスピーカーも併せて使うことになった。
 リハーサルではバンドメンバーからのリクエストに対し、通訳を介する形で、日比野は手際よく各スピーカーの調整を行っていった。
 初日の大トリ、ピンク・フロイドが登場する夕刻には、箱根の台地一面に霧が広がり、ステージはまるで幕が下りたように見えなくなった。一陣の風とともに霧が晴れると、そこにメンバーの姿があり、大きな歓声が上がった。野外ならではの偶然の自然現象が、奇しくもピンク・フロイドの神秘的な音楽性とマッチして、伝説のステージを演出したのだ。
 アルバム『原子心母』のファースト・トラックが始まると、他の出演バンドとはまったく違う「音」の迫力に、多くの観客は驚嘆したという。それはピンク・フロイドの特異な個性だけでなく、本場のロックミュージックにふさわしい圧倒的な音量がそうさせていた。初日2万人規模の観客を震わす重低音、ロジャー・ウォーターズとデヴィッド・ギルモアの繊細かつパワフルなボーカルが、湖畔の台地に響き渡った。
 伝説のステージを目撃した日比野は、その幻想的な光景を強く記憶にとどめるとともに、ヒビノのコンサート音響事業が、大きな一歩を記したことを実感したのだった。

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※ここに掲載した情報は、2015年2月発行の「ゴールなき頂を求めて 挑戦こそが我らの誇り ヒビノ株式会社50年史」より転載したものです。この記事の無断引用、無断転載を固く禁じます。

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