社史

スピーカーシステム「TFA Turbo」導入

TFA Turboをクレーンで吊り、円形ステージの周囲にKlipschを設置したスタジアムライブ(1981年)TFA Turboをクレーンで吊り、ステージの周囲にKlipschを設置したスタジアムライブ(1981年)

 YMOワールドツアーの際、橋本はフライングに特化したスピーカーシステム「TFA Turbo」の存在を知る。
 もともと広大なアメリカの地で生まれたJBLのスピーカーシステムは、大型で重量があった。1キャビネットの重量は100kgを超え、当時はリフターもなく、積み上げ作業はすべて人力で行われていた。屈強なアメリカ人スタッフが軽々とスピーカーを積み上げるのに対し、華奢な日本人には肉体的負担が大きかった。PAの分業化、専門化が未整備だった時代は、機材の搬入からセッティングは、まさに肉体労働そのものだった。そのキツさゆえに、PAの世界に残ることを断念する者も少なくなかった。
 コンサート開演前のセッティングにかけられる時間は常に限られている。稼働率の高いアリーナやホールであれば、なおさら時間との勝負になる。セッティングに時間がかかればかかるほど、事業者側として効率が悪いうえに、アーティスト側のリハーサルなど実際の音づくりの時間を奪うことになる。
 音の良さには代え難いものの、なるべく軽量コンパクトで取り回しの容易なフライングスピーカーを運用できれば、セッティングで短縮した時間を音づくりに回せるというメリットがあった。さらに、スピーカーをフライングすることにはもう一つメリットがあった。巨大なスピーカーシステムを床に直置きして大音量を出す場合は、前列の観客は必要以上の音量を甘受しなければならなかった。しかしスピーカーをステージの上部に吊れば、最前列でもうるさいと感じさせることなく、会場内に均一な音を届けることが可能だった。
 実のところ、日本武道館で実現したフライングシステムは、センターステージを設けたうえで、対称構造になっている大天井中央部に吊り下げる以外に方法はなかった。エンドステージにした場合は、中央部ではなくステージ近くに吊る必要があり、その場合はスピーカーの重量によって建物のバランスが保てず、危険だと考えられた。
 しかし、海外のPAスタッフから「天井の梁下に穴を開けてはどうだろう」という指摘がなされ、調べてみると構造上の強度も十分確保されているということが分かった。武道のメッカとして、コンサート関係者にとってはなかなか高いハードルだった武道館も、需要が高まるにつれ天井北側に吊り穴を開けることを承諾し、エンドステージでもフライングが可能になった。
 フライングを前提に設計されたTFA Turboは、ツアーでの運搬やセッティングにおける優位性が高かった。
 1981(昭和56)年夏、PA事業部はTFA Turboスピーカーシステムの導入を決めた。ロッド・スチュワート来日公演でアメリカのPA会社、ELECTROSOUND社が持ち込んだ同システムを、そのまま買い取る形となった。
 TFA Turboは、アリスさよならコンサートの全国ツアー中、同年8月の後楽園球場公演で本格運用された。グラウンドの中央に円形のステージが組まれ、スピーカーはクレーンで吊った。その後10月の横浜スタジアム公演でも運用された。
 なお、販売事業部が扱っていないメーカーの機材を、PA事業部の判断で大量導入するというケースは、その後も増えていく。その背景には、コンサート需要の高まりとともに、多様なニーズに応えていく必要に迫られた現場の強い声があった。

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※ここに掲載した情報は、2015年2月発行の「ゴールなき頂を求めて 挑戦こそが我らの誇り ヒビノ株式会社50年史」より転載したものです。この記事の無断引用、無断転載を固く禁じます。

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