社史

販売品目を「輸入品」に特化へ──音響機器販売事業の方針転換

赤坂BLITZの音響システム設計及びAMEK「RECALL by Langley」、TAC、AMCRONをはじめとする音響システムを納入(1996年)赤坂BLITZの音響システム設計及びAMEK「RECALL by Langley」、TAC、AMCRONをはじめとする音響システムを納入(1996年)

 1980年代後半から続いた未曾有のバブル景気は、1990(平成2)年3月に大蔵省(当時)が通達した土地取引における総量規制を一つのきっかけとして、下降に転じた。日本銀行の金融引き締め、各金融機関の信用収縮などによって、翌1991年から不動産価格の下落による不良債権化が進み、投資への意欲減退など、景気は一気に悪化。世にいう「バブル崩壊」である。
 1980年代後半からヒビノの事業拡大を牽引してきた展示会・博覧会などの各種イベントに対する企業の旺盛な協賛活動は、バブル崩壊後急ブレーキがかかり、設備投資の冷え込みにより販売部門の業績も下降線となった。
 1993年10月、AVC販売事業部で取り扱う音響機器について販売戦略の見直しを図り、新たな方針として最終ユーザーの拡大とシステム案件への積極的対応を進めるとともに、販売品目を「輸入商品」へ特化するという大きな方針転換を決議した。
 ヒビノの販売部門は、輸入代理店としてAMCRONをはじめとする海外メーカーの商品を扱う一方で、顧客の要望に応じて国内仕入れ商品も扱い、「ヒビノに頼めばなんでもそろう」というデパート的な側面もあった。自社製品しか扱うことができないメーカーに比べ、国内外問わず選りすぐった高品質な商品を最適な組み合わせで顧客に提案できるという点はヒビノの大きな強みでもあった。しかしその結果、国内仕入れ商品の販売がほぼ9割を占め、決して利益率の高いビジネス構造ではなかった。
 社長の日比野と成岡武事業部長(当時)は半年にわたって協議を重ね、何十回もの試算を繰り返したのち、国内仕入れ商品と比べて利益率の高い輸入商品の販売比率を上げることで、効率を重視する方針への転換を決意するに至った。
 AVC販売事業部の1993年度はバブル崩壊のあおりを受けて、売上高が30億円割れとなった。数年来、順調に30数億円台をキープしていただけに、この不振は大きな打撃であったが、販売戦略の転換が功を奏し、翌1994年度は業績が一気にアップ。その後は回復軌道を示していったのである。

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※ここに掲載した情報は、2015年2月発行の「ゴールなき頂を求めて 挑戦こそが我らの誇り ヒビノ株式会社50年史」より転載したものです。この記事の無断引用、無断転載を固く禁じます。

第4章 転換期 1994〜2003

第4の柱を求めて

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