社史

日本科学未来館にて世界初の球体LEDディスプレイを実現

日本科学未来館 初代「Geo-Cosmos(ジオ・コスモス)」(2001年)日本科学未来館 初代「Geo-Cosmos(ジオ・コスモス)」(2001年)

 2000(平成12)年の冬、クロマテック社とヒビノのもとに、ある依頼が舞い込んだ。
「球体のLEDディスプレイを作ってほしい」
 テクニカルプロデューサーを務めていた堀田豪氏(現 株式会社ゴーズ代表取締役)は、自ら描いたスケッチを見せて「どうしても実現したいので、一緒にやらないか」と持ち掛けた。
 そのアイデアとは、東京・お台場にオープンする日本科学未来館のシンボル展示として、吹き抜けの天井から地球をかたどった球体のオブジェを吊るし、しかもその球体を全面LEDパネルで覆って、宇宙から見た地球の姿をリアルタイムに映し出す、というものだった。
 堀田氏は、東京モーターショーをはじめ、映像サービス事業の立ち上げ時から数多くの案件をヒビノに発注、常に高いレベルの要求を課して、若い映像エンジニアのスキル向上に寄与した“恩人”ともいえる人物であった。
 四角いLEDパネルを何枚も並べてディスプレイに仕立てていく。しかしLEDユニットはあくまで「平面」を前提としており、「球体」となれば世界初であり、技術的に非常に難しいことは明らかだった。
 クロマテック社とヒビノは球体ディスプレイプロジェクトに参画することとなり、2001年7月のオープンに向けて開発が始まった。クロマテック社がLEDディスプレイ・システムを、ヒビノの映像事業部がシステム工事を担当。さらにPA事業部が音響の一部を担当することとなった。
 球体の大きさは直径約6m、重量は約15t。球体表面を構成するLEDの基本ユニットは、10oピッチ、縦横16個のLEDを埋め込んだ160o角のSMDタイプのLEDパネルとし、合計3,715枚(=951,040ドット)のパネルが用意された。
 クロマテック社の責任者であり、のちのヒビノクロマテック Div.技術部長の吉川新作(現 ピィ・ティ・アイ株式会社代表取締役)をはじめとするスタッフは、LEDの品質にばらつきが出ないよう、メーカーの日亜化学工業に再三リクエストをしながら、球体を構成していった。一方で、専用のプロセッサーの開発も進めた。10ビット、1,920×1,080ドットのフルハイビジョンサイズ(球体の「赤道」に当たるところがちょうど1,920ドットとなる)の制御が可能なカスタムメイドのモデルを2台製作した。なお同プロセッサーは、のちに「DLC-118HD」として製品化された。
 球体ディスプレイに表示される映像は、雲や一酸化炭素濃度など、研究機関から提供される衛星観測データ等を画像処理して使用することになっていた。映像を「地球」の表面にどうマッピングさせていくかというプログラムも一から構築しなければならず、システム構築の作業は困難を極めたという。
 堀田氏をリーダーとする球体プロジェクトチームは、完成イメージをめぐって時に激論を交わしながら、何度もシミュレーションを重ねた。次々と湧き上がる難問に立ち向かったこのときのことを、吉川は「プレスデーが早い段階で決まり、納期達成に向けて幾度となく罵声が飛び交う会議をこなした。主要部品メーカーにも、無理な納期のお願いに快く協力をいただいた結果。球体LEDディスプレイ点灯の瞬間は、感無量だった」と振り返る。
 2001年7月9日にオープンした日本科学未来館の吹き抜け天井には、刻々と姿を変える「地球」のオブジェがあった。名称は「Geo-Cosmos(ジオ・コスモス)」。
 3階と5階を結ぶ空中回廊(オーバルブリッジ)からも、ジオ・コスモスの映像を見ることができた。上から下から、左から右から、そして自由に動きながらと、あらゆる視点からの観賞に対応した球体ディスプレイは、まさにLEDが切り拓く映像新時代のシンボルだった。また、オーバルブリッジには16ch・32本のスピーカーが埋め込まれており、気温や湿度、風向きなど、屋上に設置されたセンサーが察知したその日の天候に連動して音楽の内容や音の流れる向きが変わるといった仕掛けが設けられた。このユニークな音響空間は坂本龍一氏が手掛け、システム構築にはPA事業部の宮本宰も関わった。

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※ここに掲載した情報は、2015年2月発行の「ゴールなき頂を求めて 挑戦こそが我らの誇り ヒビノ株式会社50年史」より転載したものです。この記事の無断引用、無断転載を固く禁じます。

第4章 転換期 1994〜2003

第4の柱を求めて

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