社史

クロマテック株式会社に資本参加

クロマテック社が可搬型250インチLEDディスプレイ・システムをInfocommに出展(1997年6月)クロマテック社が可搬型250インチLEDディスプレイ・システムをInfoCommに出展(1997年6月)

 1993(平成5)年11月に日亜化学工業株式会社が「青色LED」の開発に成功したことで、RGBによる鮮明なフルカラーLED(発光ダイオード)ディスプレイの時代がスタートした。自発光式で高輝度、省電力、そして軽量設計と三拍子そろったLEDディスプレイは、これまでの大型映像表示装置の弱点をほぼすべてカバーできる画期的なものとして、特にコンサート・イベント映像のマーケットを一変させる可能性を秘めており、いくつかのメーカーがディスプレイ・システムの製品化に動き出した。
 クロマテック株式会社もその一つだった。同社は1977年4月、元NHK技術研究所の映像技術者3名によって設立された。放送分野で培った高度な映像制御技術を生かして、1987年6月にユニバーサル・スキャンコンバーター「9110」を発売、そして92年1月に発売した高性能ダウンコンバーター「9120」は、世界中で高い評価を得て、NASAや防衛局をはじめ、放送局、大学、研究所、医療機関などに納入し、爆発的なヒット商品となった。ヒビノにおいては、映像事業部が同社のコンバーターを導入・活用して、その性能の高さを認識していた。
 クロマテック社は青色LEDの登場をきっかけとして、次世代LEDディスプレイ・システムの開発に着手した。同社の持つ技術は、さまざまなフォーマットの映像信号を変換・制御してディスプレイに再現する技術で、放送用のフォーマットだけでなく、パソコンの映像信号などあらゆるものに対応していた。LEDディスプレイの画質を左右するのは、ディスプレイに入力する映像信号を制御する「プロセッサー」の性能といわれた。つまり、自社製造のコンバーターで蓄積した制御技術を応用すれば、高性能のLED用プロセッサーを開発できる十分な下地があった。
 ヒビノもまた、LEDディスプレイ時代の到来を見越して、自社開発の可能性を検討するとともに、他社との連携を模索していた。社長の日比野は、クロマテック社の高い技術力に注目して、同社とタッグを組むことを決めた。
 1995年2月、両社は業務提携による共同開発体制を敷くことを決定。ヒビノはクロマテック社に対する開発資金の援助と販売支援を行うことになった。
 クロマテック社は、翌1996年11月、初のフルカラーLEDディスプレイ・システムを国際放送機器展(Inter BEE)に出展すると、来日していたカナダの映像システム会社であるSACO社の社長から高い評価を受けた。SACO社は日亜化学工業からLEDパネルを、クロマテック社からLEDプロセッサーを調達してシステムとして世界中に販売するビジネスを進めた。クロマテック社はSACO社の注文に応じて、初号モデル「DLC-2218」を累計181台生産した。その代表的な納入先としては、ニューヨーク・タイムズスクエアにある「ナスダックマーケットサイト」が挙げられる。7階建てビルの壁一面に配された円筒形の巨大LEDディスプレイには、「DLC-2218」が8台使用された。
 同時期に、クロマテック社と日亜化学工業とのパートナーシップも築かれていき、毎月1回の定例会によって情報を共有するようになった。1997年6月には8ビットLEDプロセッサーと可搬型250インチLEDディスプレイによるシステムをアメリカ・ラスベガスの展示会NABショーに出展し、クロマテック社はハイクオリティなLEDディスプレイ・システムを提供する企業として世界の注目を集めた。

  • 前の節へ
  • 次の節へ

一覧ページに戻る

※ここに掲載した情報は、2015年2月発行の「ゴールなき頂を求めて 挑戦こそが我らの誇り ヒビノ株式会社50年史」より転載したものです。この記事の無断引用、無断転載を固く禁じます。

第4章 転換期 1994〜2003

第4の柱を求めて

PAGE TOP