社史

21世紀ビジョンの提唱

 1988(昭和63)年6月のCI導入を機に、ヒビノは21世紀に向けた新たな社内的取り組みを加速した。同年8月にはCI運動の第2段階として、CI委員会に代わってHICS(ヒビノコーポレートスタイリング)委員会を発足した。同委員会は、社長の日比野を委員長とする、中長期ビジョン策定のための経営会議体で、さらに「営業主体のHICS T」「業務主体のHICS U」「技術主体のHICS V」を各実行部隊として組織した。
 同委員会のテーマは、今後の経営目標の体系化とロードマップの構築。事業戦略、組織体制、人材育成、管理などさまざまな面から「100ステップ」の課題解決をもって実現していくという、いわばインナー・キャンペーン的な意味合いがあった。
 同年11月には資本金を1億円に増資。同12月には、2000年に売上高500億円、経常利益50億円を目指す長期事業計画「21世紀ビジョン」が、社長の日比野から全社員に向けて提唱された。
 CIにおける対外的なコンセプトを「音と映像によるプレゼンテーション技術を提供するプロ集団」としたのに対して、社内コンセプトは「最新かつ最高水準の技術を作り出す柔軟でエキサイティングな集団」として、いずれも鍵となるのは「人」であるとした。
 人材強化への具体的な取り組みは翌1989年からスタートし、従業員教育の機会として「ヒビノスクール」を開設した。
 ヒビノスクールは、社会人としての基礎から高度なビジネス知識、部門別に必要となる専門知識まで、あらゆる社員に対応するカリキュラムを用意して、学びの場を提供するものであった。
 技術主体のHICS Vにおける「ヒビノ技術センター」(技術情報の集約と共有を推進するための社内機構として、1989年4月発足)もまた、情報交換会や勉強会等を通じて、従業員の技術レベルの向上を図る狙いがあった。

ヒビノのコーポレートロゴタイプを冠してサーキットを走るフォーミュラマシンヒビノのコーポレートロゴタイプを冠してサーキットを走るフォーミュラマシン

 また一風変わった試みとしては、企業名の認知促進とリクルーティングへの効果を期待して、国内最高峰のカーレース・F3000チャンピオンシップ「MOLA C TWOレーシングチーム」へのチームスポンサードを開始した。社長の日比野は「モータースポーツのスピード感、メカニカルなイメージは、ヒビノの企業イメージにふさわしい」として、参戦を決定した。F3000最年少の21歳、金石勝智がドライバーを務めるフレッシュなチームは、全10戦中、最高位は9位と健闘し、鈴鹿サーキットや富士スピードウェイなど日本を代表するサーキットで、ヒビノの新コーポレートロゴタイプを冠したフォーミュラマシンが激走した。
 翌1991年には、過去最多の45名を新卒採用するなど、ヒビノの将来を担う人材強化の取り組みは続けられていった。

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※ここに掲載した情報は、2015年2月発行の「ゴールなき頂を求めて 挑戦こそが我らの誇り ヒビノ株式会社50年史」より転載したものです。この記事の無断引用、無断転載を固く禁じます。

第3章 拡大期 1984〜1993

音と映像のプレゼンテーター誕生

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