社史

ドーム時代の到来──ミック・ジャガー 東京ドームこけら落し公演

東京ドームこけら落とし公演(1988年)。オリジナルスピーカーシステムBINCO東京ドームこけら落し公演(1988年)。オリジナルスピーカーシステムBINCO

 1988(昭和63)年3月17日、東京都文京区に、日本初の大型ドーム式野球場「東京ドーム」が開場した。愛称は「ビッグエッグ」。収容人員は約4万6,000人、イベント使用時は約5万5,000人という巨大な全天候型多目的スタジアムの誕生だった。
 当初から野球の開催だけでなく多目的使用がうたわれており、同月22日と23日には、こけら落しイベントの一つだったミック・ジャガー公演の音響サポートを、ヒビノが担当することとなった。全国のロックファン待望の初来日コンサートが、国内初の巨大なドームで行われるという初物づくしのビッグイベントに、世の中の注目が集まった。
 東京ドームは、アメリカ・ミネソタ州のメトロドーム(当時)を参考に設計され、ドーム内部の空気圧を外よりも高くすることで屋根膜を膨らませるという特殊な構造だった。多目的仕様とはいえ、東京ドームもコンサート会場としては当然ながら未知数である。宮本らヒビノのPAスタッフは、オープン前の内覧会などを通じて機材の設置場所などを慎重に検討していった。
 ところがコンサート前日のリハーサル中、スピーカーからノイズが発生し、スタッフ間に緊張が走った。なかなか原因が特定できず、ついに当日の朝を迎えることになる。「もしかしたら機材のトラブルではなく、会場特有の構造に原因があるのではないか」と考えた宮本は、ドームの職員に事情を説明して設備のチェックを開始した。そこで目にとまったのがドームの地下に備えられた非常用蓄電池の充電装置だった。同装置は蓄電池が一定量放電すると自動的に充電を始める仕組みになっていた。検証の結果、充電が始まるとノイズが発生することが判明したことから、コンサート中は充電装置を手動で止めてもらうことで、解決をみたのである。
 無事ミック・ジャガー公演を成功に導くと、THE ALFEE、HOUND DOGと続いたオープニング公演も担当して、ヒビノは他社に先駆けてドームコンサートの実績を積むこととなった。
 ちなみに、1989年4月に開場した横浜アリーナは、宮本が音響設備設計に参画し、その幅広い経験が設計段階から生かされるとともに、こけら落しのスティーヴ・ウィンウッド公演の音響サポートも行った。
 東京ドームオープン以降、多目的巨大ドームが全国主要都市で次々と建設されていく。1993年4月には福岡ドーム(現 福岡 ヤフオク!ドーム)、97年3月には大阪ドーム(現 京セラドーム大阪)とナゴヤドーム、2001年6月には札幌ドームが開場して、大規模なドームコンサートの件数は増加していく。さらに何十万人もの観客を全国の主要都市に動員する「5大ドームツアー」は、一流アーティストのステータスの証となる。
 PA業界にとって、ドームの開場はビジネスの拡大を意味し、ヒビノはドームコンサート(ツアー)に必要とされる豊富な機材とノウハウの蓄積が急務となった。

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※ここに掲載した情報は、2015年2月発行の「ゴールなき頂を求めて 挑戦こそが我らの誇り ヒビノ株式会社50年史」より転載したものです。この記事の無断引用、無断転載を固く禁じます。

第3章 拡大期 1984〜1993

音と映像のプレゼンテーター誕生

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