社史

Soundcraftブランドの獲得とモニターシステムの開発

 PA事業部が当初運用したミキシングコンソールは、自作の16chに始まり、ヤマハ「PM1000」などだったが、あるヒビノのOBから「イギリス製の卓で面白いものがある」と紹介を受けたのがSoundcraftのミキシングコンソールだった。これをきっかけに1977(昭和52)年2月、販売事業部は輸入総代理店契約を結ぶ。その後、PA事業部が現場運用したSoundcraft「Series 2」によってヒビノの出す音がガラッと変わったといわれ、主力のハウスコンソールとして活躍するようになった。
 PA事業部ではHH3000の開発を一つの契機として、スピーカーの内製化によって、さらに他社との違いを出そうという気運が高まっていた。既製のスピーカーであっても、より大きい音、より良質な音を出すために、改造して運用するのが当たり前になった。しかし、顧客に向けたスピーカーの音量が大きくなればなるほど、ステージ上のアーティストが自分たちの演奏をモニターするスピーカーからの音が聴きづらくなってしまうという皮肉な事態が起きた。
 観客に対して大迫力の音を提供すると同時に、アーティストが演奏しやすい環境を作るのも、PAエンジニアの重要な役割であった。PA事業部は国内他社に先駆けて、アーティストに良い音を返すモニターシステムの自主開発に力を注ぐこととなった。
 当時はモニター専用のスピーカーもミキシングコンソールも目ぼしいものがなかったため、おのずと自作路線をとるほかなかった。そこで、ハウスコンソールとして運用していたSeries 2を、モニター用のコンソールに改造した。ラインフェーダーを取って、そこにトリムフェーダーを8個つけ、グループとリミックスの選択スイッチをボリュームに仕立てた。これにより、アーティストごとに異なる「必要な音」へのきめ細かい対応が可能となった。

モニター専用仕様に改造したSoundcraft Series 2。すべてのチャンネルフェーダ―を取り外し、トリムフェーダーを8個増設モニター専用仕様に改造したSoundcraft Series 2。すべてのチャンネルフェーダ―を取り外し、トリムフェーダーを8個増設

 モニタースピーカーは、1977年1月に来日したレーナード・スキナード公演でアメリカ大手PA会社のShowco社(現 Clair Acquisition Corporation)が持ち込んだフロアモニタースピーカーを参考に、当時モニターエンジニアのチーフ格であった近藤健一朗(現 株式会社ケンテック代表取締役社長)が中心となって製作が進められた。ステージ上で邪魔にならないようなコンパクトサイズで、またハウリングが起こりにくい構造にするなど、試行錯誤の末に約2年がかりでオリジナルのモニタースピーカー「HM-151」を作り上げた(同機は2014年現在もいまだ現場で運用され続けている)。

ヒビノオリジナルモニタースピーカー「HM-151」ヒビノオリジナルモニタースピーカー「HM-151」

 Series 2改造コンソールとHM-151を組み合わせたモニター専用システムは、今日の「ヒビノサウンド」を作ったといっても過言ではない。
 モニターエンジニアにとって重要なスキルとは、担当するアーティストの好む音を熟知し即座に提供すること、そして、アーティストがリハーサルから本番まで自らの演奏に集中できる環境を作ることであり、ヒビノのモニターシステムは、PAエンジニアがアーティストとの信頼関係を築くうえで大きく寄与したのである。こうして、国内アーティストの案件も数多く手掛けるようになり、さらなるビジネスチャンスの拡大が図られていった。

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※ここに掲載した情報は、2015年2月発行の「ゴールなき頂を求めて 挑戦こそが我らの誇り ヒビノ株式会社50年史」より転載したものです。この記事の無断引用、無断転載を固く禁じます。

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