ヒビノの "4つの事業" の歩み
「創造と革新」を経営理念に掲げるヒビノの半世紀に及ぶ歩みは、音響や映像、エンターテインメントの新たな可能性を切り開き続けた挑戦の連続でした。 ここでは、プロ用AV&ITのトータル・ソリューション企業として「音」と「映像」、「販売」と「サービス」の領域にマトリックス展開するヒビノの4つの事業について、設立から50年の歩みを紹介します。
※ここに掲載の内容は、ヒビノ50年史発表時のものです。会社名等、最新の情報と異なる場合がありますのでご了承ください。
ヒビノの事業展開において最も長い歴史を持つ事業部
ヒビノの前身である日比野電気は、創業者・日比野宏明が家庭用テレビ受像機の販売と修理を手掛ける個人商店としてスタートしました。その後音楽喫茶の音響装置の製造・設置を手掛けるようになり、1964(昭和39)年11月、業務用音響機器の設計・販売を主業務とする「ヒビノ電気音響株式会社」を設立。ジュークボックスの販売・レンタルを経て、海外製の音響機器にたどりついた日比野は、プロフェッショナル向け音響の市場を拓いていきます。ヒビノの創業時からヒビノマーケティング Div.の使命は一貫しています。放送局やスタジオ、ホールやシアター、コンサート音響会社などサウンドの送り手となるプロフェッショナルに対し、世界中から厳選した音響機器を、マルチベンダーならではの自在なシステム提案と的確なコンサルティングをもって販売し、「最高の音」を実現することなのです。
ヒビノマーケティング Div.の略史を見る
1964(昭和39)年 | 11月 | ヒビノ電気音響株式会社を東京都台東区浅草橋2丁目7番5号に設立。販売事業部を設置し、業務用音響機器の設計・販売・修理業務を開始 |
1966(昭和41)年 | 4月 | Wurlitzerジュークボックスの販売代理業務を開始 |
9月 | 販売事業部を東京都台東区浅草橋4丁目6番8号に移転 |
1970(昭和45)年 | 8月 | バルコムトレーディングカンパニー(現 バルコム株式会社)の輸入するShureマイクロホン、スピーカーシステムの国内販売業務を開始 |
海外音響製品の販売に乗り出す
1970年の大阪万博にて海外の優れた音響機器に心を打たれた日比野宏明はShure、JBL、Crownなどの国内販売権を次々と獲得して、販売事業の軸足を「プロフェッショナル向け音響製品」へとシフトします。
1971(昭和46)年 | 12月 | 山水電気株式会社の輸入するJBLスピーカーシステムの国内販売業務を開始 |
1976(昭和51)年 | 2月 | Crownパワーアンプ、マイクロホンの輸入総代理業務を開始。国内ではブランド名「AMCRON」で展開 |
1979(昭和54)年 | 2月 | Klark-Teknikエフェクターの輸入総代理業務を開始 |
8月 | Westlake Audioスピーカーシステムの輸入総代理業務を開始 |
1984(昭和59)年 | 4月 | 販売事業部をAVC販売事業部に改組・改称 |
1985(昭和60)年 | 10月 | AMEK/TACミキシングコンソールの輸入総代理業務を開始 |
1987(昭和62)年 | 2月 | 大阪出張所を大阪営業所に昇格。新たに音響機器販売業務を開始 |
大阪を皮切りに地方の営業拠点を拡大
大阪営業所に音響機器販売部門を設置したのち、札幌、福岡にも営業所を開設し、新たな商圏拡大を積極的に進めていきます。地域密着の営業方針のもと、現在は全国6ヵ所の営業拠点できめ細やかなサポートを行っています。
1988(昭和63)年 | 3月 | AVC販売事業部を東京都港区港南3丁目5番14号に移転 |
1991(平成3)年 | 10月 | 札幌営業所を開設。音響機器販売業務を開始 |
1992(平成4)年 | 1月 | 福岡営業所にて音響機器販売業務を開始 |
1993(平成5)年 | 8月 | Polycom電話会議システムの輸入代理業務を開始 |
1994(平成6)年 | 4月 | NEXOスピーカーシステムの輸入総代理業務を開始 |
1997(平成9)年 | 3月 | Rane DJ機器、ミキサー、エフェクターの輸入総代理業務を開始 |
1998(平成10)年 | 3月 | AVC販売事業部を東京都江東区東陽3丁目23番9号へ移転 |
4月 | Soundcraftミキシングコンソールの輸入総代理業務を開始 | |
6月 | JBL PROFESSIONALスピーカーシステムの輸入総代理業務を開始 |
海外有力ブランドの輸入総代理権を次々と獲得
AVC販売事業部は1993年に、販売品目を利益率の高い「輸入品」に特化する方針を打ち出し、新規輸入ブランドの獲得を積極的に進めます。長くディーラーとして販売に携わってきたSoundcraft、JBL PROFESSIONAL、Shureなど、有力ブランドの輸入総代理権を次々と獲得し、ブランドマネジメントの体制整備に取り組むとともに、さらなる販売力・収益力の強化を図ります。
2000(平成12)年 | 6月 | Shureマイクロホン等の輸入総代理業務を開始 |
2002(平成14)年 | 4月 | AVC販売事業部をヒビノAVCセールス Div.に改組・改称 |
2003(平成15)年 | 6月 | CALRECミキシングコンソールの輸入総代理業務を開始 |
7月 | BSS AUDIOプロセッサー、エフェクターの輸入総代理業務を開始 |
2004(平成16)年 | 7月 | dbxプロセッサー、エフェクターの輸入総代理業務を開始 |
9月 | DiGiCoミキシングコンソールの輸入総代理業務を開始 |
2005(平成17)年 | 3月 | ヒビノAVCセールス Div.を東京都港区港南3丁目5番12号に移転 |
4月 | ヒビノAVCセールス Div.をヒビノプロオーディオセールス Div.に改称 ※同事業部は2022年4月、ヒビノマーケティング Div.に組織名を変更 |
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10月 | Lexicon PROエフェクターの輸入総代理業務を開始 |
2006(平成18)年 | 10月 | 名古屋オフィスにて音響機器販売業務を開始 |
2007(平成19)年 | 6月 | MUTECデジタルシグナル・プロセッサーの輸入総代理業務を開始 |
12月 | 株式会社ヘビームーンを完全子会社化 |
デジタル時代に対応するブランドマネジメント
CALREC、DiGiCoなどデジタル時代に則した有力ブランドを獲得するとともに、株式会社ヘビームーン(現 ヒビノインターサウンド株式会社)、スチューダー・ジャパン-ブロードキャスト株式会社の完全子会社化により、スピーカー、マイクロホン、ミキシングコンソール(PA向け、放送局向け)という各商品カテゴリーに対し、2~3ブランド体制を構築します。
2008(平成20)年 | 5月 | スチューダー・ジャパン-ブロードキャスト株式会社を完全子会社化 |
10月 | AKGマイクロホン等の輸入総代理業務を開始 |
2009(平成21)年 | 1月 | 輸入代理業務の一部を子会社株式会社ヘビームーンに譲渡・移管。同社はヒビノインターサウンド株式会社に商号を変更 |
2010(平成22)年 | 7月 | 子会社ヒビノインターサウンド株式会社がiBasso Audioヘッドホンアンプ、ミュージックプレイヤーの輸入総代理業務を開始 |
10月 | ビクターアークス株式会社を持分法適用関連会社化。同社は2014年7月、株式会社JVCケンウッド・アークスに商号を変更 | |
12月 | 子会社ヒビノインターサウンド株式会社がCODA AUDIOスピーカーシステムの輸入総代理業務を開始 |
2013(平成25)年 | 6月 | 仙台プロモーションオフィスを開設。音響機器販売業務を開始 |
10月 | 子会社ヒビノインターサウンド株式会社がDISデジタル会議システムの輸入総代理業務を開始 |
2014(平成26)年 | 3月 | コバレント販売株式会社を完全子会社化。同社は2014年7月、ヒビノイマジニアリング株式会社に商号を変更 |
映画館上映システムのシェア拡大を図る
映画館の映像及び音響装置の販売、システム設計・施工などを行うコバレント販売株式会社(現 ヒビノイマジニアリング株式会社)を完全子会社化し、シネマ市場におけるビジネスを拡大していきます。
日本のPAにおけるパイオニアとしてコンサート音響業界を確立
1970年代の幕開けとともに欧米の人気アーティストが大挙して来日。その先進的な音響システムや技術を日本に取り込もうと、ヒビノは海外の音響製品の販売を開始しました。その拡販のために続けていた顧客へのデモンストレーション(試用貸出)に対して「有料で貸してほしい」というニーズが生まれ、1971(昭和46)年、コンサート音響事業への道が拓きます。海外アーティストのコンサートの実績を着々と重ねながら、自作のスピーカーシステム「HH3000」「BINCO」の開発や、PAオペレート技術の蓄積・向上を進め、機材のレンタルに終わらないトータルサービスを可能にしていきました。ヒビノサウンドDiv.は、コンサート音響事業のパイオニアとして、世界最先端機材の大量導入とともに、高い技術力と運用ノウハウを有する多数のエンジニアによって、常に業界をリードし続けています。
ヒビノサウンドDiv.の略史を見る
1971(昭和46)年 | 4月 | PA事業部を東京都台東区浅草橋4丁目6番8号に設置し、コンサート用音響機材の貸出と設置・オペレートを行う運用業務を開始 |
8月 | 「箱根アフロディーテ」におけるピンク・フロイドのコンサートにShureの音響機材を提供 |
“伝説のアフロディーテ”から「ヒビノサウンド」の歴史が始まる
当時の日本ではまだPAという概念は確立しておらず、海外アーティストの来日公演の際は、本国からPA機材を持ち込むケースがほとんどでした。その中、ヒビノ電気音響はShure「ボーカルマスター」のデモンストレーション活動を通じて知り合ったプロモーターから、日本初の大型野外フェス「箱根アフロディーテ」の仕事を受注します。ピンク・フロイドの機材サポートを行ったことで、コンサート音響事業の大きな一歩を示します。
1973(昭和48)年 | 2月 | 日本武道館におけるトム・ジョーンズのコンサートで、国内初の本格的なフライングスピーカーシステムを運用 |
国内初となるフライングスピーカーシステムを実現
ヒビノ電気音響は1971年にJBLスピーカーシステムの取扱いを開始し、海外の一流アーティストが求める音響機材を調達できる会社として、特に海外アーティストの招聘元から広く認知されます。1973年2月に行われたトム・ジョーンズ日本武道館公演では、国内初となる本格的なフライングスピーカーシステムの設計、設営・運用に成功し、技術力の高さを示しました。
1975(昭和50)年 | 5月 | スリー・ドッグ・ナイト、グランド・ファンク・レイルロード等の来日コンサートツアーにおいて、国内初の大会場仕様のJBL大型マルチウェイシステムを運用開始 |
8月 | 国内初の大型ロックフェスティバルツアー「ワールド・ロック・フェスティバル」の音響サポートを担当 |
1976(昭和51)年 | 6月 | PA事業部を東京都港区白金5丁目10番2号に移転 |
1978(昭和53)年 | 2月 | オリジナルスピーカーシステム「BINCO」を完成。ボブ・ディラン初来日コンサートツアーで運用 |
自社設計スピーカーシステム「BINCO」の開発に成功
PA事業部の若きスタッフは、「機材レンタルだけに終わらない」という熱い思いを胸に、海外の高度なPAオペレート技術を習得する一方で、自作のスピーカー開発にも取り組みます。特にロックコンサートで真価を発揮する「BINCOシステム」は、ヒビノサウンドの原点となりました。
1980(昭和55)年 | 10月 | YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)ワールドツアーの音響を全面的にサポート。海外へ進出 |
1981(昭和56)年 | 8月 | ELECTROSOUNDスピーカーシステム「TFA Turbo」を運用開始 |
1983(昭和58)年 | 7月 | 大阪出張所を開設し、コンサート音響業務を開始 |
事業拡大により大阪出張所を開所
コンサート音響事業は拡大の一途をたどり、大阪城ホールの開場を控えていた国内第二の都市・大阪に新たな拠点を設置します。地域密着方針のもと、関西のアーティストや地元放送局主催のライブイベントを数多く手掛けるほか、国体や植樹祭・育樹祭等の皇室関連行事などの独自のマーケットを開拓し、受注領域を広げていきます。
10月 | PA事業部を東京都港区港南3丁目5番14号(現在の本社所在地)に移転 |
1985(昭和60)年 | 6月 | 国立競技場における「国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW」の超大型コンサートで、大手音響各社の共同プロジェクトの幹事社を務める |
1987(昭和62)年 | 2月 | 大阪出張所を大阪営業所に昇格 |
5月 | Turbosoundスピーカーシステム「TMS-3」を運用開始 |
1988(昭和63)年 | 3月 | オリジナルスピーカーシステム「NEW BINCO(通称:NB)」の運用を開始 |
3月 | 東京ドームこけら落しのミック・ジャガー コンサートの音響サポートを担当 | |
8月 | 浜田省吾 浜名湖渚園5万人野外コンサートの音響を担当 |
1989(平成1)年 | 4月 | 横浜アリーナこけら落しのスティーヴ・ウィンウッド コンサートの音響サポートを担当 |
8月 | Showco(現 Clair Acquision Corporation〈アメリカ〉)と業務提携し、同社開発のスピーカーシステム「Prism」の日本及びアジア地域における使用権を得る |
1990(平成2)年 | 2月 | ザ・ローリング・ストーンズ初来日の東京ドーム10公演の音響サポートを担当し、Showco(現 Clair Acquisition Corporation〈アメリカ〉)のPrismシステムを運用開始。引き続きポール・マッカートニー初来日の東京ドーム6公演の音響サポートを担当 |
ザ・ローリング・ストーンズ、ポール・マッカートニー初来日公演をサポート
ロックファン待望の初来日を果たしたザ・ローリング・ストーンズ及びポール・マッカートニーの東京ドーム公演において、ヒビノは当時最先端のフライングスピーカーシステム「Prism」を導入。ロック界のレジェンドの迫力あるサウンドを力強くサポートしました。
1991(平成3)年 | 11月 | ライブ収録のための録音中継車「ODYSSEY(オデッセイ)」の貸出・オペレート業務を開始 |
録音中継車「ODYSSEY」導入
ライブレコーディングのニーズに応えるべく導入した録音中継車「ODYSSEY」は、メインコンソールに最高峰NEVE「VR48」を採用するなど、高品位の録音に対応する最新鋭の機材を搭載し、車内の作業性と機能性を限界まで高めたハイエンドな仕様が施されました。2009年からはさらなる録音環境を追求した「ODYSSEY 2」が稼働しています。
1992(平成4)年 | 10月 | 第一通信工業株式会社との共同開発による「McAUDI」デジタル・シグナルプロセッサーが完成 |
1993(平成5)年 | 7月 | B'z浜名湖渚園5万人野外コンサートの音響を担当 |
1995(平成7)年 | 10月 | PA事業部を東京都江東区新木場4丁目12番19号に移転 |
1999(平成11)年 | 7月 | B'z東京ドームコンサートからNEXOスピーカーシステム「Alphaシリーズ」を運用開始 |
7月 | 千葉県千葉市美浜区幕張の特設会場にて日本最大規模の20万人集客のGLAYコンサートで音響を担当。同コンサートからオリジナルスピーカーシステム「NBⅢ」を運用開始 |
GLAY 20万人コンサートで「NBⅢ」を運用
20万人もの大観衆を集めたGLAYコンサートでは、4代目BINCOとして自社開発したスピーカーシステム「NBⅢ」を初めて運用。映像事業部が担当した大型映像とともに、「音と映像」の両面で、歴史的なビッグイベントをサポートしました。
時代の最先端をいく音響機材を積極導入
日々、技術革新が繰り返されるスピーカーシステムのトレンドをつかみ、アーティストサイドのあらゆる要望に応える機材のラインアップと、長年の実績により培われた運用ノウハウが、ヒビノサウンドへの信頼を確かなものにしています。
2000(平成12)年 | 11月 | GLAYさいたまスーパーアリーナコンサートからJBL PROFESSIONALスピーカーシステム「VerTecシリーズ」を運用開始 |
2002(平成14)年 | 4月 | PA事業部をヒビノサウンド Div.に改組・改称 |
2003(平成15)年 | 4月 | wyse大阪厚生年金会館コンサートからNEXOスピーカーシステム「GEO T」を運用開始 |
2006(平成18)年 | 3月 | L-ACOUSTICSスピーカーシステム「V-DOSC」の日本における運用に関するパートナー契約を締結、4月より運用を開始 |
12月 | 名古屋オフィスにてコンサート音響業務を開始 |
2010(平成22)年 | 3月 | L-ACOUSTICSスピーカーシステム「K1」を運用開始 |
2012(平成24)年 | 6月 | JBL PROFESSIONALスピーカーシステム「VTXシリーズ」を運用開始 |
2013(平成25)年 | 7月 | Martin Audioスピーカーシステム「MLA」を運用開始 |
2014(平成26)年 | 5月 | L-ACOUSTICSスピーカーシステム「K2」を運用開始 |
音とともに、もっと「感動」を。大型映像の可能性に挑戦
1984(昭和59)年、ヒビノは来たるべきAVCC(オーディオ、ビジュアル、コンピューター&コミュニケーション)時代を見据えて、映像分野に進出しました。翌1985年のつくば科学万博に始まる「大型映像」「マルチビジョン」を、コンサートや企業イベント、展示会等で運用することで、成長への足掛かりを得ます。さらに車載型アストロビジョンやLEDディスプレイの展開など、積極的な機材投資と運用技術の蓄積によって、モーターショーやオリンピックなど数々のビッグイベントで大型映像サポートを担ってきました。2000年代に入ると、コンサートのエンターテインメント化によるステージ映像の需要が高まり、最新鋭機材と高度な技術を駆使したコンサート映像を次々と手掛けました。ヒビノビジュアル Div.は、お客様のあらゆる演出イメージを具現化するクリエイティブな技術集団として、大型映像の持つ力で誰も体感したことのない感動の空間を創造し続けます。
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1984(昭和59)年 | 5月 | 映像部を東京都港区白金5丁目10番2号に設置し、本格的に映像サービス事業を開始 |
1985(昭和60)年 | 4月 | 大型映像機器の貸出と設置・オペレートを行う運用業務を開始。日比谷公園大音楽堂(日比谷野音)におけるARBコンサートで、国内初のコンサート映像演出を実現 |
国内初のコンサート映像演出を実現
マルチビジョン時代に先駆けて、大型映像サービス業務に乗り出します。国内初となる本格的なコンサート映像演出を実現したARB日比谷公園大音楽堂(日比谷野音)ライブでは、映像素材の企画・制作から、リアプロジェクター15面マルチビジョンの設置・オペレートまで、映像演出を一手に担いました。
1987(昭和62)年 | 4月 | 大阪営業所にて大型映像サービス業務を開始 |
1988(昭和63)年 | 3月 | 映像部の一部を東京都港区港南3丁目5番14号に移転 |
7月 | 映像編集(ポストプロダクション)業務を開始。ウェストレイクスタジオを新設(2004年、同業務から撤退) | |
9月 | 「第16回データショウ」で11ブースの映像表示を担当 |
1989(平成1)年 | 2月 | 国家行事「大喪の礼」にて映像中継全般を担当 |
5月 | 映像部をAVCシステム事業部に改組。企業のショールーム・展示施設等の常設映像・音響機器のシステム設計・販売・保守業務を開始 | |
7月 | 衛星通信システムを利用した大型映像サービスを開始 | |
8月 | マルチプロジェクションシステム「ヒビノキューブ」の開発に成功、運用開始 | |
10月 | 車載型大型映像表示装置「アストロビジョン」の貸出・オペレート業務を開始 |
1990(平成2)年 | 9月 | トヨタショールーム「トヨタオートサロン アムラックス東京」の映像・音響設備工事を担当 |
11月 | 国家行事「即位の礼」にて映像中継全般を担当 |
「大喪の礼」「即位の礼」の映像中継業務を担当
昭和天皇崩御に伴う「大喪の礼」、そして今上天皇の「即位の礼」において、監視用カメラや記録用カメラ、来賓用モニターなど、主要映像機器の設置と運用を担当しました。国民的行事の実施に際して、全社を挙げて取り組み、ヒビノの映像サービスに対する信頼は飛躍的に高まります。
1991(平成3)年 | 4月 | アメリカに現地法人(子会社)Hibino Audio-Visual USA Inc.を設立。大型映像サービス業務を開始(同社は1997年、解散) |
アメリカに現地法人「Hibino Audio-Visual USA Inc.」設立
大型映像サービスの海外展開を図るため、アメリカ西海岸に現地法人「Hibino Audio-Visual USA Inc.」を設立し、日本の高い映像技術とアメリカの多種多様な映像ニーズを融合したビジネスモデルの実現を目指しました。展示会を中心に、特にITベンチャー企業のイベントを数多く手掛けます。のちに映像機器の販売業務も始め、シカゴ交通局の管制センターへプロジェクター72台の大型納入も果たしました。
5月 | アメリカGE(ゼネラル・エレクトリック)社製の最大600インチ、ハイビジョン対応のビデオプロジェクター「Talaria TLV-Turbo」を導入 |
1992(平成4)年 | 2月 | AVCシステム事業部を映像事業部に改組 |
1993(平成5)年 | 1月 | 通信衛星を利用して国内100ヵ所で同時中継を行うことができる映像同時中継網「ヒビノネット」を組織化 |
8月 | 韓国に現地法人(合弁会社)HIBINO KOREA株式会社を設立。大型映像サービス業務を開始(2002年、同社全株式を譲渡) |
1994(平成6)年 | 2月 | 世界初の3Dハイビジョン衛星生中継に参画し、衛星中継全般及び国内18会場の映像表示を担当。8月、2回目の3Dハイビジョン衛星中継では、世界初のデジタル伝送による衛星中継全般及び国内5会場の映像表示を担当 |
1995(平成7)年 | 4月 | 名古屋営業所を開設。大型映像サービス業務を開始 |
1997(平成9)年 | 3月 | B'z 4大ドームツアー(名古屋、東京、福岡、大阪)の映像表示を担当 |
B‘z 4大ドームツアーの大型映像サービスを担当
東京、福岡、大阪、名古屋に巨大なドームが完成し、数万人が一堂に集まるコンサートにおける大型映像装置のニーズが俄然高まります。ヒビノは1997年のB'z 4大ドームツアーでアストロビジョンの運用に成功し、のちのコンサート映像飛躍のきっかけをつかみます。
10月 | メディアランナーネットワークを開始 |
1998(平成10)年 | 2月 | 長野冬季オリンピックにおいて会場15ヵ所の大型映像機器の貸出・オペレートを担当 |
長野冬季オリンピックの大型映像サービスを担当
1998年開催の長野冬季オリンピックでは、開会式・閉会式をはじめ、各競技会場、表彰式など15の会場で映像表示を担当しました。また、会場外ではメディアランナーによるパブリックビューイングを実施しました。100名を超えるスタッフを総動員させ、30㎜ピッチ放電管方式ディスプレイ「FT-30」や車載型アストロビジョン、プロジェクションキューブなどを運用しました。2000年のシドニー夏季オリンピック、2002年のソルトレイクシティ冬季オリンピックでも引き続き大型映像サービスを行い、実績を重ねていきます。
1999(平成11)年 | 7月 | 千葉県千葉市美浜区幕張の特設会場にて日本最大規模の20万人集客のGLAYコンサートで映像表示を担当 |
10月 | 第33回東京モーターショー1999 トヨタブースにて、映像及び音響システム設計・施工・運用を担当 |
第33回東京モーターショー トヨタブースで高評価
大型LEDディスプレイ元年となった第33回東京モーターショー。トヨタブースにおいて、円形状サロンの壁一面を覆い尽くしたLED曲面ディスプレイと迫力あるサウンドは、ヒビノの高い技術力と総合力を内外に示しました。
2000(平成12)年 | 9月 | シドニー夏季オリンピックにおいて、会場4ヵ所の大型映像機器の貸出・オペレートを担当 |
9月 | 札幌営業所にて大型映像サービス業務を開始 |
2002(平成14)年 | 2月 | ソルトレイクシティ冬季オリンピックにおいて、大型映像機器の貸出・オペレートを担当 |
4月 | 映像事業部をヒビノビジュアル Div.に改組・改称 |
2005(平成17)年 | 3月 | 2005年日本国際博覧会(愛・地球博)において会場7ヵ所の大型映像機器の貸出・オペレートを担当 |
2006(平成18)年 | 9月 | 株式会社メディア・テクニカルを完全子会社化 |
2007(平成19)年 | 1月 | ELEMENT LABS LEDディスプレイ・システム「STEALTH」を導入開始 |
「STEALTH」の導入とコンサート映像サービスの拡大
劇的な軽量化とシースルー構造を実現したLEDスクリーン「STEALTH」は、大型映像の可能性を飛躍的に高める製品でした。ヒビノはいち早く導入を決め、特にコンサート映像サービスの拡大につなげました。
2010(平成22)年 | 4月 | 上海に現地法人(子会社)Hibino Asia Pacific (Shanghai) Limitedを設立 |
2011(平成23)年 | 11月 | Hibino Asia Pacific (Shanghai) Limitedを完全子会社化。2012年4月より大型映像サービス業務を開始 |
2013(平成25)年 | 1月 | 株式会社ベスコを完全孫会社化。同社は2014年4月、ヒビノベスコ株式会社に商号を変更 |
2014(平成26)年 | 11月 | 株式会社メディアニクスを完全孫会社化 |
高度な映像制御技術が生んだ自社製品を新たなグローバル展開の足掛かりに
1993(平成5)年、青色LEDの登場により、フルカラーLEDディスプレイの時代が到来しました。ヒビノはLEDディスプレイの事業を「第4の柱」と定め、高い映像制御技術を有したクロマテック社とのパートナーシップのもと、大型LEDディスプレイ・システムの開発・製造・販売事業に参入しました。世界初の4K対応LEDプロセッサー「DLC-612」は、国内のみならず海外でも高い評価を得て、自社のハイエンド・システムブランド「ChromaLED」を確立しました。そして次世代へ向けて、世界最高画質のLEDディスプレイ・システムの実現とともに、「世界のヒビノ」を目指します。
ヒビノクロマテックDiv.の略史を見る
1995(平成7)年 | 2月 | クロマテック株式会社に資本参加し、同社製品の開発援助及び販売業務を開始。同社は2001年8月、ヒビノクロマテック株式会社に商号を変更 |
1996(平成8)年 | 11月 | クロマテック株式会社がフルカラーLEDディスプレイ・システムを国際放送機器展(Inter BEE)にて発表 |
1997(平成9)年 | 6月 | クロマテック株式会社が高解像度LEDプロセッサーと可搬型250インチLEDディスプレイを開発 |
クロマテック株式会社がLEDディスプレイ分野に参入
ヒビノが資本参加したクロマテック株式会社は、映像制御技術において世界中で実績を上げていました。同社はその高度な技術力をもとに、いち早くLEDディスプレイ・システムの自社開発というベンチャーに乗り出し、高解像度LEDプロセッサーと大型LEDディスプレイの開発に成功します。
2001(平成13)年 | 7月 | クロマテック株式会社が日本科学未来館に世界初の球体LEDディスプレイ・システムを納入、当社がシステム工事を担当 |
世界初の球体LEDディスプレイを実現
クロマテック社は、日本科学未来館における地球をかたどった世界初の球体LEDディスプレイ初代「Geo-Cosmos」の製作に携わりました。10㎜ピッチ、縦横16個のLEDを埋め込んだ160㎜角の四角いLEDパネルを合計3,715枚(=951,040ドット)並べて直径約6mの球体に仕立てています。ヒビノは映像・音響システムの設計・施工に携わり、両社による共同事業は高い評価を得ました。
2002(平成14)年 | 3月 | ヒビノクロマテック株式会社を子会社化 |
11月 | ヒビノクロマテック Div.を東京都港区港南3丁目5番14号に設置し、映像機器の開発・製造・販売業務を開始 | |
12月 | フルハイビジョン対応LEDプロセッサー「DLC-118HD」、インターメディアコンバーター「IMC-880」を開発。LEDディスプレイ・システム「GS-60」が完成 |
フルハイビジョン対応LEDディスプレイ・システムが世界を席巻
ヒビノはクロマテック社を吸収合併し、映像製品の開発・製造・販売事業に本格参入します。フルハイビジョン対応の6㎜ピッチLEDディスプレイ・システム「GS-60」は、筐体、プロセッサー、LEDパネル、伝送方式などの各要素において他社を圧倒する性能により、国内はもとより、世界中のモーターショーのスタンダードとなりました。
2003(平成15)年 | 3月 | ISO9001:2000品質管理規格を取得 |
2004(平成16)年 | 8月 | 当社開発のLEDディスプレイ・システムがアテネ夏季オリンピックに採用され、開会式で活躍 |
2005(平成17)年 | 10月 | 日産グローバルデザインセンターに横3.8m×縦2.3mの3㎜ピッチ当社製LEDディスプレイ・システムを4面納入 |
2006(平成18)年 | 6月 | 世界初の4K対応LEDプロセッサー「DLC-612」を開発。当社製LED ディスプレイ・システムのブランドを「ChromaLED」と定め、新開発ブラックタイプLED素子及びブラックマスク採用モデル「ChromaLED 6B」を発売開始 |
自社ブランド「ChromaLED」登場
世界初の4K対応LEDプロセッサー「DLC-612」、その性能を最大限生かすブラックレンズ及びブラックマスク採用のLEDディスプレイの開発に成功。自社のフラッグシップLEDディスプレイ・システムのブランドを「ChromaLED」と定め、ハイエンドを指向する顧客への浸透を図りました。「DLC-612」は、屋内では世界最大級となる横26.9m×縦12m(323㎡)のLED画面とともに、アメリカのラジオシティ・ミュージックホールに初めて納入されました。また「ChromaLED」を代表する6㎜ピッチLEDディスプレイ・システム「ChromaLED 6B」は、PRADAの世界50店舗をはじめ、日産グローバル本社ギャラリーや渋谷ヒカリエなどに採用されています。
9月 | アメリカのラジオシティ・ミュージックホールに屋内では世界最大級となる横26.9m×縦12m(323㎡)の当社製LEDディスプレイ・システム「ChromaLED 10」を納入 |
2007(平成19)年 | 4月 | イギリスに現地法人(完全子会社)Hibino Europe Limitedを設立 |
8月 | 香港に現地法人(子会社)Hibino Asia Pacific Limitedを設立 | |
11月 | PRADA銀座店ほか世界50店舗に当社製LEDディスプレイ・システム「ChromaLED 6B」を納入 |
2008(平成20)年 | 4月 | ヒビノクロマテック Div.の一部を神奈川県横浜市港北区新吉田東8丁目50番14号に移転 |
ヒビノの「ものづくり」を担う拠点を横浜市に設置
ヒビノの「ものづくり」を強化する方針の一環として、神奈川事業所を設置し、次世代LEDディスプレイ・システムの開発や研究を進めています。3階建ての1階部分は大型LEDディスプレイ・システムを組み上げられる十分な天井高とスペースを確保しています。
11月 | 全天候対応透過型LEDディスプレイ・システム「Chromawall 12」を開発。同年12月より発売開始 |
全天候対応透過型「Chromawall 12」販売開始
屋外での使用に最適化された全天候対応透過型のLEDディスプレイ・システム「Chromawall 12」は、「秋葉原UDXビジョン」をはじめ、街頭ビジョンに多数採用されています。ヒビノグループ製品の一部製造企画・管理も担う香港の現地法人Hibino Asia Pacific Limitedを中心に開発が進められました。
2010(平成22)年 | 4月 | 上海に現地法人(子会社)Hibino Asia Pacific (Shanghai) Limitedを設立 |
2011(平成23)年 | 11月 | Hibino Asia Pacific Limited及びHibino Asia Pacific (Shanghai) Limitedを完全子会社化 |
2013(平成25)年 | 7月 | 渋谷駅ハチ公口交差点前「QFRONT」ビル壁面の大型ビジョン「Q’S EYE」に街頭ビジョンでは国内最大級となる横19m×縦23.9m(453㎡)の当社製LEDディスプレイ・システム「ChromaLED 9B」及び「Chromawall 30」を納入 |
「QFRONT」ビル壁面の大型ビジョン「Q’S EYE」に「ChromaLED 9B」「Chromawall 30」を納入
渋谷駅ハチ公口交差点前「QFRONT」ビル壁面の国内最大級の街頭ビジョン「Q’S EYE」は、中央のメインビジョン「ChromaLED 9B」(横13m×縦7.7m)とその周囲を取り囲むように配置するアートビジョン「Chromawall 30」(横19m×縦23.9m)の2種類、計453㎡のLEDディスプレイ・システムで構築しています。渋谷スクランブル交差点にある3基の大型街頭ビジョンのうち2基でヒビノのLEDディスプレイ・システムが採用されています。